昭和、平成、令和-Society 3.0 から Society 5.0 へ-

 本日より令和が始まりました。西暦を使い慣れているせいか、1ヶ月前に令和の元号が発表された際は何かピンとくるものを感じませんでした。しかし、昭和、平成、令和、という時代の流れをよくよく考えると、西暦で時代を考えるとは異なる視座を得ることが出来ることに気づきました。

 

 昭和が終わり平成が始まった頃は、日本はいわゆる「バブル経済」の最高潮の時期でした。製造業を中心する日本の企業が世界で活躍している時代でした。それから30年が経ち、平成が終わり令和が始まりました。平成ではバブル経済崩壊後は日本経済の大きな飛躍が見られなかったものの、日本が戦争を直接経験しなかったという点で平和な時代でした。そして、平成の間に日本を含め世界は大きく変わりました。平成元年(1989年)には東西の分断していたベルリンの壁が壊れ、その後、米ソの冷戦が終結しました。世界平和が来るかと思われましたが、民族紛争が勃発し、宗教的な対立もなくなることはありませんでした。一方で、世界経済は、中国やインドを始めとする国々が経済力をつけ、貧困で苦しむ人々の数が相当減りました。その主な要因は、インターネットによるグローバル化の加速です。

 

 人、もの、お金、情報などが国境を越えて行き来する現象を「グローバル化」と呼びます。平成の時代に、グローバル化を加速したのがインターネットです。平成7年にWindow95が登場し、それ以降、インターネットがいっきに普及しました。インターネットを利用することができれば、世界中と繋がることが可能になりました。これに伴い、金融を含む経済活動が世界規模で活発になりました。その潮流を掴んだ企業が平成時代に台頭しました。その象徴は、GAFAと呼ばれる、四大企業(Google, Apple, Facebook, Amazon)です。インターネットの普及する世界で、情報を基盤としたサービスのプラットフォーム化に成功した企業が、平成の時代を象徴する企業となりました。

 

 内閣府が提唱する Society 5.0 の観点から考えると、昭和は Society 3.0 の時代でした。それは、工業化による社会です。この時代に、ものづくりで優れていた日本の企業は世界で大活躍しました。平成は Society 3.0 から Society 4.0 の社会へ移行した時代です。コンピューターが個人のものとなり、インターネットに繋がり、情報が溢れ「もの」から「こと」へのサービスが経済活動や社会生活の中心を担うようになっています。

 

 令和は、 Society 4.0 から Society 5.0 の社会に移行する時代であると推測されます。Society 5.0 は、AI(人工知能)やIoT(もののインターネット化)が牽引する社会です。2010年代は、スマートフォンが普及し、特に、i Phone を販売する Apple 社は Society 4.0 を象徴する企業となりました。このスマートフォンは、 4G(第4世代移動通信システム)に依るところが大きいとされています。例えば、その処理速読は(『プレジデント 2019.5.13号』p.50より)、同じ iPhoneでも 3G(第3世代)の iPhone4S であれば、DVD1枚分のデータ(4.7ギガバイト)をダウンロードするには「約48分4秒」かかりましたが、4Gの iPhone8 では「約1分20秒」です。これが5G(第5世代)の機種になると「約2秒」で行われると、理論上の最速値として推定されています。

 

 「超高速・超低遅延・超大量接続・超大容量」をもたらす5Gが、令和の時代に導入されます。5Gを支えに、AIやIoTの環境が整備され、Society 5.0 が実現されていくでしょう。自動自動車が現れたり、新たな職業が生まれるのも、これらを背景に社会自体が変わるからです。社会が変わるという意識や認識を持つのに役立つのが、昭和がどのような社会であったのか、平成がどのような社会であったのか、という問いに対する答えです。

 

 昭和の社会を振り返り、平成の社会を振り返ることによって、令和の社会がどのような社会になるかが、想像しやすくなります。そのキーワードは、Society 5.0 です。すなわち、

 

 昭和 Society 3.0

 平成 Society 3.0 → Society 4.0

 令和 Society 4.0 → Society 5.0

 

の枠組みで理解することで、「令和の時代は何が重要であるか」を考えていく必要があると思います。その際、「問学」がこの新しい時代には役に立つと考えています。


(注)「問学」の定義として、日本国語大辞典(第2版)「知らないことを問いたずねること。知らないことを学ぼうとすること。学問を得ようとすること。」を紹介してきました。別の辞典、新選漢和辞典Web版(令和元年5月1日アクセス)での「問学(學)」の定義は「問い学ぶこと。学問。」となっています。