新学習指導要領においては、今まで以上に「学力の3要素」に注意を払い授業を行うことが求めれます。大学入試においても、この観点から入学者の選抜を行うことになると言われています。3要素のうち、特に「思考力・判断力・表現力」の要素に力点を置き、入試問題が出題されるようです。
「学力の3要素」を語る時、私は「判断力」を除き、「思考力・表現力」を「知識・技能(スキル)」に含ませた方が良いと考えています。後者の2つの力は、「技能(スキル)」として捉え、特定の技能(スキル)を明確にして、それを訓練によって身につけることことを目標にする方が、教育実践が行いやすくなると考えているからです。例えば、思考力であれば、論理的思考(logical thinking)や批判的思考(critical thinking)をそれぞれのスキル(skills)として、教育することが可能です。欧米では、それらのスキルの本が沢山あります。創造的思考(creative thinking)にしても、今欧米で流行しているデザイン思考(design thinking)と具体的なスキルとして扱えば、教育での指導が具体的に行うことが出来ます。表現力にしても、プレゼンテーションスキル(presentation skills)やライティングスキル(writing skills)として捉えて指導すれば、具体的な成果を得やすくなるでしょう。
それに対し、「判断力」(judgement)は、思考力や表現力のように、スキルとして捉えることが難しいと思われます。何故なら、判断するにはスキルだけでは済まされない部分を伴うからです。「判断力」の大切さについて、福澤諭吉による『学問のすすめ』の第15編を紹介します。
第15編のタイトルは、「物事を疑って取捨を断ずる事」となっています。齋藤孝氏による、現代語訳『学問のすすめ』(ちくま新書)では「疑った上で判断せよ」の訳になっています。この15編は、判断力についての書かれたものです。以下、斎藤訳で「学問」と「判断力」についての箇所を紹介します。
「・判断力を養うのは学問
物事を軽々しく信じてはいけないのならば、またこれを軽々しく疑うのもいけない。信じる、疑うということについては、取捨選択のための判断力が必要なのだ。学問というのは、この判断力を確立するためにあるのではないだろうか。」(p.192)
「このように雑然とした混乱の中にあって、東西の事物をよく比較して、信ずべきことを信じ、疑うべきことを疑い、取るべきことを取り、捨てるべきことを捨て、それをきちんと判断するというは、なんと難しいことである。そして、いまこの仕事を任せられるのは、ほかでもない、唯一われわれのように学問するものだけなのだ。学問をする者はがんばらなくてはならない。」(p.203)
福澤諭吉は「学問」において「判断力」の確立を説いています。「問学」においても、「智恵」の習得が「判断力」を確立することなります。福澤が同書の最初に引用した『実語教』での「智」が「問学」の
智恵」に相当します。英語の learning (学び)には、知識やスキルを得ることと定義されているだけで、このような「智恵」の習得はありません。「問学」を定義するとき、英語での学びの定義(知識・スキルの獲得)と古来からある日本語での学びの定義(智の獲得)を合わせたものを「問学」の学びとしています。「問学」は「判断力を確立する」という点で、福澤の言う「学問」と同じです。
(参考文献)
福澤諭吉著 斎藤孝訳(2008)『現代語訳 学問のすすめ』 ちくま新書