bounded fluency-日本企業の公用語としての英語力-

 ハーバード大学経営大学院(HBS)教授が、楽天の社内公用語英語化の過程とその成果を研究し、それを著した The Langugage of global success (翻訳書は『英語が楽天を変えた』)では、日本人社員の英語力はどのようであるかを述べてあり、学習者が到達する英語力について非常に参考になることが書かれています。英語を母国語とする話者、すなわち、英語のネイティブと比較し、日本人英語学習者の英語がどの程度になっているを示しています。楽天の日本人社員の英語力を bounded fluency 「有界の流暢さ」(拙訳)と呼び、ネイティブの fluency (流暢さ)には至らないものであるとしています。

 

 bounded fluency の言葉を見てすぐに連想したのが、bounded rationality です。経済学系の洋書を読んでいる時に覚えた表現です。経済学という学問は、人が合理的(rational)に判断し行動するという前提で成り立っていると考えていたので、面白い表現だと思いました。ネットで調べると、ウイキペディアの bounded rationality の説明は、

 

限定合理性(げんていごうりせい、英: bounded rationality, 仏: rationalité limitée)とは、合理的であろうと意図するけれども、認識能力の限界によって、限られた合理性しか経済主体が持ち得ないことを表す。これは、1947年にハーバート・サイモンが『Administrative Behavior』で提唱した人間の認識能力についての概念であり、オリバー・ウィリアムソンはこの概念を取引コストに関わる経済学の基礎として据えた。」

 

とあります。すなわち、bounded は「限定・限界」を示している単語です。bounded rationality の意味から bounded fluency の意味を想像すると、fluency (流暢さ)には「限定・限界」があることが分かります。

 

 原書での bounded fluency の説明は以下の通りです。

'They acquired some degree of fluency, but it was insufficient to enable automaticity of the kind that native speakers develope.  No matter how much they improved, they never achieved the natural ease of their fluent native langugae.' (p.35)

「彼ら(楽天日本人社員)は、ある程度の(英語の)流暢さを身につけることが出来たが、ネイティブが身につけるような自動性を可能にするほどには至らなかった。どんなに上達しても、母語に見られる自然の流暢さや簡単に母語を操るレベルにまで達することは決してなかった。」(拙訳)

 

 すなわち、英語学習者の英語とネイティブの英語には大きな差があるということです。言われてみれば当たり前のことですが、ここで注意してほしいのは、説明の箇所で automaticity「自動性」が使われいることです。言語使用において「自動性」が重要です。なぜなら、鳥飼久美子、立教大学名誉教授の著書『「英語公用語」は何が問題か』)で言えば、

 

「人間の情報処理には脳内の「作業記憶(working memory)が関わるが、作業記憶を認知活動に利用することを可能にする認知資源の容量には限界があるという(辻幸夫(編)(2001)『ことばの認知科学辞典』大修館書店)(門田修平、野呂忠司(編著)(2001)『英語リーディングの認知メカニズム』くろしお出版)。」(p.37)

「これを外国語使用の面から考えると、日本人が英語を話す際には、英語を聞き取り理解するとと自分の発話を英語で構成することに手間がかかり、論点を分析して対策を提示するなどの「思考」をする余力がなくなる。英語の聴取と理解に手間取らないネイティブスピーカーは思考そのものに専念できる為、英語で議論をすれば英語の母語話者が主導権を握ることになる(朝日新聞2010年9月18日「私の視点」)。」(p.37)

 

です。

 

 要するに、一時に頭を使う容量には限りがあり、英語を理解するのに日本語に直したり、文構造を分析することに頭を使うと、内容を吟味するための思考にその余力がなくなるということです。英語を話す時でも、日本語で内容を考え、それに相当する英語を思い浮かべ、英文を作ることに頭を使うと、内容それ自体を深く考える余力がなくなるということでもあります。

 

 この余力を増やすためには「自動性」(automaticity)を上げていかなければなりません。さらに、bounded fluency では、ある話題について英語で議論する際に、ネイティブよりもハンディがあるということです。思考の埋め合わせをするためには、前もってネイティブよりも話題について知識を持ち、それについて深く思考していることが必要になります。

 

 日本人英語学習者がいくら英語を流暢に話せるように見えても、bounded fluency から言えば、ネイティブよりも流暢さは劣っていることが多く、思考活動においてはハンディがあることは、認識しておくほうが良いでしょう。

 

 この bounded fluency は、翻訳書『英語が楽天を変えた』では「限られた範囲のみの英語力」(p.60, p.77)と訳されています。


(参考文献)

Tsedal Neeley(2017).  The Language of Global Success: How a Common Tongue Transforms Multinational Organizations  Princeton University Press

セダール・二ーリー著 栗木さつき訳(2018)『英語が楽天を変えた』 河出書房新社

鳥飼久美子著(2010)「「英語公用語」は何が問題か』 角川書店