「知能」と「知性」の違い−‘Anti-intellectualism in American life’ から(その1)−

 本日読み終わった本 Anti-intellectualism in American Life は、多く点で示唆に富む本でした。50年以上前に出版された本ですが、数年前に日本で注目されました。英語タイトルの拙訳は「アメリカの生活に潜む反知性主義」になりますが、近年、東京大学の合格者数で飛躍的に増加している幕張教育学園幕張中・高校の田村哲夫学校長が『アメリカの反知性主義』というタイトル訳を付けた翻訳本を出版しています。

 

 「反知性主義」という言葉が日本のマスコミ界で賑わっている時期に購入した本ですが、私には難しく思え、長らく読まない状態でした。この本は、1964年にはノンフィクション部門でピューリツァー賞を受賞しています。同書を読み、「知性intellect と「知能intelligence の違いが曖昧だった私は、その相違の理解が深まりました。以下にその箇所を紹介します。

 

Intelligence is an excellence of mind that is employed within a fairly narrow, immediate, and predicable range, it is a manipulative, adjustive, unfailingly practical quality’ (p. 25)

知能は知力が持つ卓越したものである。それは、きわめて狭く、即座かつ予想できる範囲で使われ、その特性は、巧みに扱われ、調整され、間違いなく実用的である。」(拙訳)

 ‘Intellect, on the other hand, is the critical, creative, and contemplative side of mind.’(p. 25)

知性は、一方で、知力の批判的、創造的、静観的な側面である。」(拙訳)

 

 これからの時代を生き抜く能力として21世紀型能力(21st century skills)が言及されることが多いですが、その能力には、批判的・創造的思考が含まれます。同書では、その能力は「知性」であると解釈することが出来ます。

 「知能」と「知性」の違いについては、以下のように書かれています。

 

‘Whereas intelligence seeks to grasp, manipulate, re-order, adjust, intellect examines, ponders, wonders, theorizes, criticizes, imagines.’(p. 25)

知能が把握し、操り、再整理し、調節するのに対し、知性は思考し、疑問を持ち、理論化し、批判し、想像する。」(拙訳)

 ‘Intelligence will seize the immediate meaning in a situation and evaluate it.

Intellect evaluates evaluations, and looks for the meanings of situations as a whole.’(p. 25)

知能はある状況において即座に意味を掴み、評価する。知性は評価を評価し、全体として状況の意味を探す。」(拙訳)

 ④

Intelligence can be praised as a quality in animals; intellect, being a unique manifestation of human dignity, is both praised and assailed as a quality in men.’(p. 25)

「知能は動物の特質として称賛できるものである。一方で、知性は、他の動物には無い人間の尊厳を表しているので、人間の特質として称賛かつ攻撃される。」(拙訳)

 ⑤

‘When the difference is so defined, it becomes easier to understand why we sometimes say that a mind of admittedly penetrating intelligence is relatively unintellectual; and why, by the same token, we see among minds that are unmistakably intellectual a considerably range of intelligence.’(p. 25)

「両者の違いをそのように定義すると、次のことを理解するのが簡単になる。一つは、時折、何故、明らかに鋭い知能を持った人が、どちかと言えば、知性的ではないのか。もう一つは、同様に、なぜ、間違いなく知性を持っている人の中に、知能にかなりの幅があるのか、について理解しやすくなる。」(拙訳)

 

 引用箇所から印象的であったのは、④の「知性」が人間的な特性であるということです。言われてみれば、ある状況を即座に意味づける「知能」という点においては、他の動物も同じであるように思われます。そして、人間と他の動物を分けるのが「知性」であるとするならば、AI(人工知能)が広範に利用されていく社会(ソサイエティ5.0)の到来において、「知性」の育成が喫緊の課題になります。何故なら、ソサエティ5.0は、人間性がいっそう要求されるからです。

 他の動物と区別するように、AIと区別するのが「知性」です。②や③に引用した「知性」の特性は、AIが出来ない能力です。②では「疑問を持つ・不思議に思う」(wonder)という「問い」に関する箇所、③では「評価を評価し、全体として状況の意味を探す。」の、いわば、「メタ認知」に関する箇所が、「知性」の特性であるのは、興味深い点です。⑤では、世間で言う頭の良さは「知能」を指すことが多く、頭が良くても不甲斐ない行動をとるのは、「知性」が足りないのだと理解できます。

 これらの知性の特質が21世紀でますます求めれるものであるとする、知性を磨くことは、これらの時代を生き抜く上で、必要不可欠なものと見なすことができます。

 

 次に、教育においての両者の扱いについての部分を引用します。

 

‘In our education, for example, it has never doubted that the selection and development of intelligence is a goal of central importance; but the extent to which education should foster intellect has been a matter of the most heated controversy and the opponents of intellect in most spheres of public education have exercised preponderant power.’(p. 25)

「例えば、我々の教育において、疑いもなく、知能の選択と発達は中核的に重要な目標であった。しかし、教育が知性を育むべき範囲ついては激論となってきた。公教育のほとんどの分野で知性を反対する人たちは圧倒的な権力を行使してきたのである。」(拙訳)

 

 残念ながら、教育での「知性」の扱いは議論が分かれるところであるようです。その背後に「反知性主義」があります。それでは、「反知性主義」とは何かとなりますが、同書での「反知性主義」は次のように定義されています。

 

‘The common strain that binds together the attitudes and ideas which I call anti-intellectual is a resentment and suspicion of the life of the mind and of those who are considered to represent it; and a disposition constantly to minimize the value of that life.’ (p.7)

「私が反知性を呼ぶ態度や考えの共通の特徴は、知性的に生きることやそのような生き方の代表と考えられる人々を憤り疑うことである。そして、その様な生き方の価値を常に最小にする気質のことである。」(拙訳)

 

 ここでの the mind の訳は難しいですが、「反知性主義」のことを語っているので、mind を「知性」と訳しました。「反知性主義」の意味を理解するには、先に示した「知能」と「知性」の違いが分かることが役立ちます。とにかく、今後も「反知性主義」に対峙しながらも、AIに対抗できる(共生できる)「知性」を育むことが求められると思われます。


(参考文献)

Richard Hofstardter(1962) Anti-Intellectualism in American Life   Vintage