「答えは問処に在り」「問いを生きる」-東洋と西洋の「問い」の接点-

 今月のEテレ(NHK教育)での番組「100分de 名著」は「河合隼雄スペシャル」でした。11年前に亡くなった臨床心理学者の河合隼雄氏が執筆した4冊の本を取り上げ、解説されました。河合隼雄氏は、日本におけるユング派心理学の第一人者であり、箱庭療法を日本に紹介するなど、カウンセリングの発展、普及に大きく貢献されました。

 

 番組で取り上げられた本は、『ユング心理学入門』『昔話と日本人の心』『神話と日本人の心』『ユング心理学と仏教』です。河合氏は心理療法を行うだけなく、日本の昔話や神話、さらには仏教にも目を向け、臨床心理学や日本人の心を深く研究されました。私は同氏の著書に没頭した時期(約20年前)があったのでこれらの本を全て読んでいたのですが、改めて多くの発見があり、久しぶりにユング心理学や心の仕組みについて考える機会を得ることができた番組でした。

 

 その番組が切っ掛けで、書店で『河合隼雄自伝 未来への記憶』を購入しました。それを読むと、非常に面白い表現に出合いました。「答は問処(もんしょ)に在り」という表現です。河合氏がスイス留学でユング派の資格を得た際に、同氏を指導したマイヤー先生からある質問をされました。それは「これをアレンジしたのはだれか」という問いです。留学はうまく行っていたのですが、資格を得るための最終試験になって、大変な苦労を経験したこともあり、そのように問われました。以下にその辺りの文章を引用します。

 

 「だれがアレンジしたわけでもないけど、ものすごく見事にできている。それで「アレンジしたのはだれか」と質問するんですよ。その話をしたら、哲学の上田閑照(しずてる)さんが喜んで、「それはええ質問や」言うてね。それで、「質問には答えんでもええ」と言うんですよ。しかし、そういうことを考えてみるというか、そういう姿勢で臨むということが大事なんだというわけです。マイヤーも答えないんですよ、「アレンジしたのはだれか」と言うだけなんです。このとき、上田さんに「答は問処(もんしょ)在り」という禅の言葉を教えてもらいました。ピッタリですね。結局、みんなが死に物狂いで好きなことをやっていたら、うまくいっていたということです。」(pp.347-348)

 

 河合氏は別の著書でも「答は問処にあり」について述べている箇所がありました。臨床心理家からの質問に答えるという形式で編集された本『人の心はどこまでわかるか』です。まえがきで次のように書かれています。

 

「本文中、川嵜さんへの答えのところにも書いたが、禅の「答えは問処にあり」という言葉を私は好きである。質問者の臨床経験を反映しつつ、各質問にはすでに答えが含まれているのだ。そして、おもしろいことに私の答えは、そこで終わるものではなく、あらたな問いを喚起するようなものになっている。質疑応答は終わることなく続く。これが心というものである。」(p.p. 6-7)

「禅では、「答えは問処にあり」と言われます。つまり、答えは問うところにあるというわけです。川嵜さんにしても、いかに質問しているようで、答えは自らもっておられます。問いの中に答えを内包しながら問うているわけです。」(p.123)(注:『河合隼雄自伝』では「答」、『人の心はどこまでわかるか』では「答え」となっています。そのままを表記しました)

 

 問学を実践するの当たって、問いは大きな意味を持ちます。その問いのをどのように捉えるかも大切です。禅にある「答えは問処に在り」という言葉には、河合氏は「質問には答えなくても良い」「死に物狂いで好きなことをすると、うまくいく」「質問に答えが含まれている」「質疑応答は終わることなく続く」と語り、その意味を伝えています。

 

 東洋の禅に対し、西洋(オーストリア)の詩人であるリルケの言葉「問いを生きる」(『若き詩人への手紙』より)を以前(2017年7月30日)紹介しました。再度、その箇所を引用します。

 

 「あなたはまだ本当にお若い。すべての物事のはじまる以前にいらっしゃるのですから、私はできるだけあなたにお願いしておきたいのです、あなたの心の中の未解決のものすべてに対して忍耐を持たれることを。そうして問い自身を、例えば閉ざされた部屋のように、あるいは非常に未知な言語で書かれた書物のように、愛されることを。今すぐ答えを探さないで下さい。あなたはまだそれを自ら生きておいでならないのだから、今与えることはないのです。すべてを生きるということこそ、しかし大切なのです。今はあなたは問いを生きて下さい。そうすればおそらくあなたは次第に、それと気づくことなく、ある遥かな日に、答えの中へ生きて行かれることになりましょう。おそらくあなたはご自身の中に、造型し形成する可能性をもっていらっしゃることと思います、特別に幸福な純粋な生の一つの在り方として。これへ向かって御自身の芽をお伸ばし下さい」(p.30-31)

 

 改めて読み直すと、「問いを生きる」と「答えは問処に在り」の類似点を見出すことができます。「問い」自体のチカラを感じ取ることができるではないのでしょうか。


(参考文献)

河合隼雄(2000)『人の心はどこまでわかるか』 講談社+α新書

河合隼雄(2018)『河合隼雄自伝 未来への記憶』新潮文庫

リルケ 高安国世訳(1953)『若き詩人への手紙 若き女性への手紙』新潮文庫