強制による主体づくりの学習-苅谷教授の本から-

 「強制による主体づくりの学習」は、元東京大学教授で現オックスフォード大学教授である苅谷剛彦氏による言葉です。『オックスフォードからの警告―グローバル化時代大学論』の中に出てきます。それが使用されている箇所を引用します。

 

「オックスフォードでの教育の特色であるチュートリアルについては、ほかのところででも紹介した。学生2、3人に1人の教員がついて毎週行うこの個別指導の仕組みは、ともかく、たくさん学生に読ませ、書かせ、それをもとに議論することの繰り返しである。学生に大きな負担をかける、まさにオックスフォードの良き伝統と信じられている教育実践である。

 この教授・学習法が現在にいたるまで生き残っていることの意味を改めて振り返ると、それはイギリス社会に根づいている個人主義(自立した個人=市民の相互承認によって社会が成り立っていると考える)の思想と分かちがたく結びついている。大量の文献を読ませることで共通の知識の基盤を提供した上で、その知識を用いてそれぞれが独自にどのように考えるのか、批判的思考力を徹底して鍛える方法として、この贅沢な学習法が現在でも維持されている。それは強制による主体(subject)づくりの学習である。また、別の見方をすれば個々のチューターによるきわめて主観的(subjective)な教授法でもある。」(pp.49-50)

 

 大学の世界ランキング(Times Higher Education)では、世界ナンバーワンとされるオックスフォード大学ですが、そこでの濃密な学びが紹介されています。強制によって主体がつくられるという指摘は、生徒は学生に主体性をもつことを完全にゆだねるのではなく、教員が学生の主体性づくりに関与することであると理解できます。生徒の 「反応的な(reactive)学び」から「主体的な(proactive)学び」への変容には、主体的な(proactive)教員の関与が極めて重要であるとする、私の考えに近いものです。近いと書いたのは、高校現場の私の実践では、「強制による」というよりは「導きによる(guided)」ものであると考えているからです。ある程度まで教員が生徒の学びを導き、途中で教員が手を放し、生徒が自立して学びを続けていくようにするイメージを持っています。

 

 いずれにしても、「主体性」という名のもとに、全て学生や生徒まかせにするではないという観点は重要です。


(参考文献)

苅谷剛彦(2017)『オックスフォードからの警告―グローバル化時代大学論-』中公新書ラクレ