道問学の5箇条-学・問・思・弁・行-

 今回は道問学(問学に道る)の5箇条を紹介します。今からちょうど100年前の1918年に出版された『四書講義 中庸』の現代版である『中庸』(宇野哲人全訳注、講談社学術文庫)で述べているものです。

 

 『中庸』の第27章にあるのが、何度も引用している『徳性を尊んで、問学に道(よ)る』です。宇野氏は道問学は、「博くこれを学び、審らかにこれを問い、慎みてこれを思い、明らかにこれを弁じ、篤くこれを行なう。」(第20章)の5箇条であると説明しています(p.212)。漢文では、「博學之,審問之,慎思之,明辨之,篤行之。」で記述されており、「博学」「審問」「慎思」「明弁」「厚行」が「道問学」となります。この部分を宇野氏は次のように解説しています。

 

「学ばざれば物の道理を知ることができぬ、故に必ず博く学んで遺る方なく知らなければならぬ。学んで理解し得ざることは、これを問わなければならぬ。故に審らかに問いて惑いを解かなければならぬ。学問してこれを知りこれを理解しても、自ら思索しなければ親切でない、故に慎んでこれを思えば心に自得するであろう。しかして自得したるものはその公私・義利・真妄を豪釐の間において明らかに弁別しなければならなぬ。かくして善を選ぶ上は、これを実際日用の間に施し、篤く実行して失わぬようにする。」(P.141)

 

 宇野氏は、問学を学問と解釈しています。上記の解説においても、学び、問い、思い、弁し、行う、の順番から「学び問う」の「学問」という理解の流れになるのは当然です。同氏は「道問学」を「学問に道る」と書き(p.212)、その方法として5箇条に触れているのです。

 

 私は、宇野氏の解釈だけでなく、「問学」を文字通りに解釈した「問い学ぶ」が、21世紀に生きる我々に役立つものであると考えています。現代は、IT(情報技術)革命によって生活の隅々まで情報が行き渡り、答えやその元となる情報を手に入れるのが以前の時代と比べ格段に容易になっています。一方で、フェイクニュースの言葉が象徴するように偽りのニュースも蔓延しています。このような時代においては、何でも入って来る情報や知識を学ぶのではなく、その前に学ぶ者としての自分の立場を明確することが重要になります。それを可能にするのが、問いです。先ずは問いを立てる。そして学ぶ。このような問い学ぶ「問学」の態度は、学び問う「学問」の態度と同様に重要であると、私は考えています。

 

 次に、「思う」ですが、問いから思考に繋がるのは異論はありません。問いをきっかけに思考が始まり、深まります。問いと思考は密接な関係にあります。「問い」「思い」「学び」を行い続けることによって、得ることができるのが、「知識・スキル・智恵」です。その中でも「智恵」を私は「物事の本質を理解し、正しい判断をもたらすもの」としています。「弁する」(弁別する)がこれに当たります。「弁する」ため、「智恵」を得るために、「問学」があると私は捉えています。

 

 最後に、その智恵を得て、「行い」になります。正しく判断した行動に導くのが「道問学」の私の解釈です。

 

「道問学」は、「博学」「審問」「慎思」「明弁」「厚行」からなりますが、私は順番を変えて「審問」「博学」「慎思」「明弁」「厚行」として理解しています。

 


(参考文献)

宇野哲人全訳注(1983)『中庸』講談社学術文庫