対話的な学び(その3)-対話と問学-

 「対話的な学び」を英語では dialogic learning とし、「対話」dialogue の意味を考える上で、ウイリアム・アイザックス(William Isaacs)氏による著書 Dialogue and the art of thinking together から、私は大変刺激(inspire)を受けました。問学とも関係深いと考え、「対話と問学」を題にして述べます。

 

 対話が問学と密接な関係にあると考えるのは、上記の著書に dialogue の定義を以下にようにしているからです。

 

  "Dialogue, as I define it here, is about a shared inquiry, a way of thinking and reflecting together.  It is not something you do to another people.  It is something you do with people. " (p.9)

 「私がこの書で定義する対話とは、共有される問いについてのことで、つまり、ともに考え、ともに内省する方法についてである。対話は決して他の人に対してすることではない。他の人とともにするものである。」(拙訳)

 

  "Dialogue is a living exprerience of inquiry within and between people." (p.9)

「対話は、問いの生きた体験である。それも人の内面に生じるものであり、かつ人との間に生じるものである。」(拙訳)

 

 上記の記述から、「対話」dialogue は「問い」inquiry のことである、と導き出すことが出来ます。対話は自己への問い、他者への問い、さらに他者からの問い、から成り立つものです。問いにより、考える行為が生まれます。逆に言えば、考える行為の背後には、必ず「問い」の存在があるということです。だから、アイザックス氏による定義に、inquiry 「問い」の後の言い換えとして、a way of thinking .. 「考え方」と続くわけです。

 

 対話が自分への問いと他者との問いであると考えると、問学と対話の関係が見えてきます。「問い」が「対話」を成り立たせるのに中心的な役割を果たすならば、「学び」は「対話」の成果です。問いが推し進める対話を通して、何を得るのか。それは、知識なのか、スキルなのか、智恵なのか、あるいは、それ以外のものなかのか。これらを検証することで、さらにより良い問いが生まれ、より良い対話となり、より良い学びとなっていくことでしょう。

 

 このように考えると、「対話」と「問学」が密接な関係にあることが分かります。


(参考文献)

Isaacs, Wiiliam. (1999) Dialogue and the art of thinking togehter: a pioneering approach to communicating in business and in life. Currency