主体的な学び(その4)-Transactive Learning-

 上の画像の右上にある、Transactive Learning「個人を超える学び」 は、transactive memory をヒントに考えついたものです。tansactive memory とは、インターネットで調べると

 

 『「トランザクティブ・メモリー」(Transactive memory)とは、1980年代半ばに米ハーバード大学の社会心理学者、ダニエル・ウェグナ―が唱えた組織学習に関する概念で、日本語では「交換記憶」あるいは「対人交流的記憶」「越境する記憶」などと訳されます。組織学習の一つの側面である組織の記憶力(経験によって学習した情報の蓄積)において重要なのは、組織全体が「同じ知識を記憶すること」ではなく、「組織内で『誰が何を知っているか』を把握すること」である、という考え方です。英語でいえば、組織の各メンバーが「What」よりも「Who knows What」を重視し、共有している状態を指します。(2013/11/11掲載)』(「日本の人事」ホームページ https://jinjibu.jp/keyword/detl/607/ より 2017年10月9日アクセス)

 

 とあります。私の理解では、「トランザクティブ・メモリー」transcative memory とは、記憶を個人のみに押し込めるのではなく、他者の記憶も活用しながら、記憶の幅を広げることができるものです。上記の解説にあるように、≪ 組織全体が「同じ知識を記憶すること」ではなく、「組織内で『誰が何を知っているか』を把握すること」である ≫ということです。これを、記憶の代わりに「学び」に置き換えると、それぞれの学習者の「学び」が個人の学びを越え、有機的な繋がりを保ちながら、教室空間や地域社会まで広がるものと考えます。すなわち、それぞれの学習者の学びが、組織や社会でつながり、生かされるものです。

 

 やや抽象的になりましたが、「主体的な学び」の先にあるものは、文科省が掲げる「生きて働く知識」であり、それにとどまらず、その知識を活かす「スキル」、さらに「智恵」が社会全体で有機的に結び付き、効果的な働きをする学びです。それを「個を越える学び」transactive learning と呼ぶことにします。この学びが「集合知」として現れ、いかに活気のある社会であるかは容易に想像できるのはないでしょうか。

 

 先ずは個の「主体的な学び」proactive learning があり、教師を含めた学習者同士の「主体的・対話的な学び」proactive, dialogic learning になり、それらが「個を越えた学び」translactive learning となります。その具体的な形(成果)は、個の「知識・スキル・智恵」の獲得、そして、集団の中に存在する個の「知識・スキル・智恵」が有機的につながり、「集合知」あるいは智恵を超える「叡智」の顕現です。

 

 文科省が言う「深い学び」とは「物事の本質を掴み、正しく判断する智恵」を獲得する過程を指すものと考えています。