問学によって何を得るのか(その5)-問いの役割-

 このブログで4回に渡って書いてきた要点は、「学ぶこと」とは、「知識」「スキル」「智恵」を得るということです。「得る」という行為は、自分に引き寄せて、自らのものとするというもの。言い換えれば、「学び」とは、学ぶ対象のついての「知識」、それを活かして課題を解決する「スキル(能力)」、そして、その対象の本質を掴み極める「智恵」を自分に引き寄せて、自らのものとする行為です。

 

 「問学」の中の「学び」について述べてきましたが、今回は「問い」について述べます。「学び」について考えたように、「問う」も日英の定義を調べて、その意味やイメージを掴むことを試みます。

 

 「問う」とは、デジタル大辞泉では、

①「わからないことやはっきりしないことを人に聞く、また、相手の考えを知ろうとして、ある事をたずねる。多くの人に判断を求める。質問する。」

②「(多く受身の形で)人の能力や物事の価値などを改めて試す。」

③「責任の所在や犯罪の事実などを追及する。」

④「(下に打消しの語を伴って)ある資格や事件を問題として取り上げる。」

 (例)過去は問わない

⑤「話かける。もの言う。」

⑥「占いをして結果を求める。」

⑦「求婚する。」

 

と定義されています。7つの定義がありますが、「問学」ではを扱うことにします。

 

 さて次に、英語の定義を見ます。実は、「学問」を英語をどのように表現するかを調べると、なかなかそれに相当する表現が見当たることはなかったのです。例えば、「学問に王道なし」という諺は、 "There is no royal road to learning." となっています。それには「問い」がありません。福沢諭吉の「学問のすすめ」の英訳は、 "An encouragement of learning" です。これにも、「問い」の訳がありません。マックス・ウェーバーの「職業としての学問」の英訳は、"Science as a vocation" です。「科学」が「学問」として訳されています。

 

  「学ぶ問う」という意味での「学問」の英語が何であろうと思っていると、ある洋書を読んでいる時に偶然にそれらしき表現に出会いました。著名なジャーナリストである Fareed Zakaria氏の "In Defense of a Liberal Education"(p.45) という本の中に、

 

   "... And the deeper quest for understanding never disappeared.  Even during the Dark Ages, medieval monasteries kept alive a tradition of learning and inquiry."

 

  とあり、それが「」に近いものであると思いました。

 

この言葉から、「問い」を "inquiry" とし、その定義を調べました (Random House Kerneman Webster's College Dictionary より)。

 

① "A seeking or request for truth, information, or knowledge"

② "An investigation, as into an incident"

③ "a question; query"

 

以上の3種類の定義がありますが、①が参考になります。「真理、情報、あるいは知識を求めること」の定義です。特に、「求める」という部分が「問学」とって重要になります。「求める」とは、向かっていくイメージです。例えば、「何かを問う」とは、「その何かついての真理・情報・知識に向かっていく」イメージであると、私は捉えています。

 

 これらの定義を基に「問うこと」と「学ぶこと」を合わせた「問学」というのは、問うことによる「求める」という行為と学ぶことによる「得る」という行為であるとし、これから

 

「知識・スキル・智恵を求め、それに辿り着くと引き寄せ自分のものにする

 

という、有機的な連鎖のイメージ(下の図)が浮かびます。

 

 

 

 すなわち、「問い」→「知識・スキル・智恵」→「学ぶ」、さらに「問い」を立てれば、新たな循環が生まれ、智恵に向かうスパイラルが形成されます。学術研究に留まることなく、いかなる分野においても、この螺旋的巡回により、学びの結果である、知識やスキルの習得、さらに最終的には智恵を得て、「一流のプロ・達人・名人」になることが出来ると考えられます。

 

 言い換えれば、ある分野で突出した力を持つには、「問い」だけは不十分であり、「学び」だけでも不十分です。しかし、、両者を合わせることにより、最強の「学び」が生まれます。「問学」は、最強の学びです。

 

 問学教育研究部は「問学」を問学することにより、学びについての新しい視点を提供したいと考えています。