問学によって何を得るのか(その2)-学びとは-

 『実語教』では、学ぶことによって得るものは「智」を得ることであると言うことができます。それは、「人は学ばなければ、智はない。」⇒「人は学べば、智を持つことができる。」⇒「賢い人(賢人)になる。」の流れで考えることができるからです。それでは、「智」とは一体何でしょうか?  

 

    学研全訳古語辞典では、智(知)とは、

①「智恵。物事を理解し、是非善悪を判断する心の動き

②「知識。知力」としています。  

 

 デジタル大辞泉では、智とは、

①「物事をよく理解する。賢い。」智者

②「物事を理解する能力」智慧・智能/叡智などとしています。

 

 ところで、英語の智恵に当たる "wisdom"の定義を調べると

① “The ability to discern or judge what is true, right, or lasting; insight.”

     insight:“The ability to discern the true nature of a situation, especially by intuition”

② “Common sense; good judgment

③ a. “The sum of learning through the ages; knowledge”

     b. “Wise teachings of the ancient sages”

とあります。(American Heritage Dictionary of the English Langugage, Fifth Edition より)

 

 以上から、智とは「智恵」(wisdom)のことであるという前提に立つと、日本語(古語及び現代語)及び英語の定義から「智恵」は主に「2種類の力」成り立つことがわかります。

 

① 洞察力:「物事の本質を見分ける(理解する)能力

      "the ability to discern the true nature(本質)of a situation"

 

② 判断力:「是非・善悪を判断する

       "good judgement" (of a what is true, right, or lasting)

 

以上の「洞察力」と「判断力」が智恵の中心的な力であると推定することができると思います。言い換えると、

 

『「智」とは「智恵」のことであり、それは、物事の本質を理解し、正しい判断をする能力である。』

 まとめると、学ぶことの大きな目的は、物事の本質を掴み、正しく判断できるようになることではないでしょうか。例えば、あらゆる分野で名人、達人と呼ばれる人達は、それぞれの分野での「洞察力」と「判断力」を備えている人であると言うことができます。学びを続けて高いレベルまで達することができる人は、この2種類の力である「智恵」を持っている人のことです。

 

 今回は抽象的に説明した感があるので、次回は、それを示す物語を紹介いたします。